新潟中越地震、井上英徳L・レポート
          
       



4000人以上が避難した小千谷市総合体育館
                   


      
 私の勤務する会社では、10月23日夕方に新潟中越地方で発生した震度7の震災に対して、阪神淡路大震災を機に、被災地救援活動の目的で創設された社内・災害支援ボランティア制度を10月26日付で適用することとなり、翌28日より31日まで災害対策車両1台と私を含む人員2名を派遣することを決定しました。
 27日より被災地へ輸送する支援物資の調達作業に入り、先の阪神淡路大震災の際に用意した救援物資と同等品の緊急支援物資を災害対策車に積載して、深夜に東京を出発しました。
途中湯沢にてわれわれ派遣隊の食料等を調達し、国土交通省道路局にて情報収集と群馬県警高速隊より緊急通行許可証を受領し、一般車両通行禁止の関越道を通行して小千谷インターへ向かいました。小出インターを過ぎた辺りから、高速道路の隆起や陥没箇所が50メートルおきに発生しており、徐行運転を余儀なくされながら小千谷に到着。
 支援物資受け入れ先である小千谷市社会福祉協議会のボランティアセンターへ向かうと、大勢のボランティアスタッフで溢れており、相当な混乱の様相を呈しておりました。
 われわれ派遣隊は神戸震災でのボランティア経験もあったので、ある程度の混乱は予想しておりましたので、とりあえず単独での活動を行うこととし、ボランティアセンターで被害の大きかった地区の避難所の住所を聞き取り、直接に東京から運んだ物資を届けることにしました。
 向かった先は、のちにビニールハウス避難所として有名になった池ヶ原地区避難所でした。そこで救援物資を下ろし、地区会長に現状と必要な救援物資について聞き取りを行い、その内容をボランティアセンターに報告しました。
 翌日、小千谷市役所の市民生活課でボランティア活動のための情報収集を行うと、神戸の時と同様に、市役所に集積される救援用食料品を輸送する車両が足りておらず、避難所によっては朝食の配達が昼過ぎになってしまうという実情でありました。そこで当社の災害対策車を人員ごと市に供出して、食料品や救援物資の輸送ボランティアを行うこととなりました。
 30日からは自衛隊にも輸送業務を支援してもらう事となり、前日までの輸送車両2台のみの体制から、一気に10台で対応する事となり、現場での混乱も少し緩和されてまいりました。それでも市内には大小150ヶ所以上の避難所があり、私たちの受け持ち避難所も8箇所を数え、活動期間中、延べ1万人分の救援物資の輸送を担当しました。
 小千谷市内の被害状況は、ほとんどの国道・県道で土砂崩れが発生しており、一般車両の通行は出来ない状態でした。また、倒壊家屋は少なかったものの、災害対策本部から派遣された建築士による応急建物診断では、ほとんどの建物に倒壊危険を示す「危険・立入禁止」赤い紙が張られており、話を聞いた建築士によると、新潟は積雪対策で屋根が頑丈に出来ているために倒壊が少なかったが、多くの建物の土台部分に損傷が出ているために、今後の積雪に耐えられる保証はないとの事でした。
 また、2歳の男の子が奇跡的に救出された国道土砂崩れ現場も、
小千谷市長岡市
の市境部分にあり、長岡側よりは小千谷側のほうが崩落による被害は甚大でした。
 上越線小千谷駅から長岡に向かう最初のトンネルなどは、この土砂崩れでトンネル入り口が完全に塞がれており、もし地震の際に列車が通過していれば大惨事になった事と思われます。
 ライフラインも11月6日現在で市内の7割程度に電気・水道の供給が開始されたようですが、ガスの復旧は目処が立たず、またJR上越線にいたっては崩落事故の影響もあり、全く復旧の目処が立っていないようです。
 
新潟にはもう間もなく冬が来ます。復旧作業がなかなか進まない状態で冬を迎える事は、復興への足がかりが掴めないばかりか、自衛隊テントや屋外での避難生活を余儀なくされている被災市民への影響が心配されます。
 被災された全住民が、一日でも早く普通の生活に戻れますように願わずにはいられませんでした。

平成16年11月8日記 ( 井上英徳L )
         


       

立川より災害支援物資を積載し、
余震の続く小千谷市へ
        
           

小千谷インター出口
関越道は災害により許可車両以外は通行止め
      
                 

現地では小千谷市総合体育館駐車場に
テントを設営し、現地での活動拠点としました。
 災害支援ボランティアとしては、
自己完結のために水・食料・宿泊装備を
全て持参して活動にあたります。

4000人以上が避難した小千谷市総合体育館
  
  
  
  
            

倒壊家屋
  

小千谷総合体育館そばの鉄骨製階段が
激しい揺れのために倒れて駐車場の乗用車を直撃
             

倒壊家屋
   

災害対策基本法に基づき、被災地周辺の幹線道路は許可車両以外通行が禁止された
          

激しい揺れにより液状化し、
下水道管が隆起してしまった。
このような状態は市内の至る所で見られた。

2歳の男の子が奇跡的に救出された
国道崩落現場
  
         

その土砂崩れ現場と並行して走る上越線の線路

国道崩落現場
          

立川から運んだ救援物資は、
ビニールハウス避難所として後に有名になった
池ヶ原地区避難所へ寄贈しました。
   
    

東京からの救援物資搬送が終了した後は、
小千谷市役所の支援のために、
自衛隊と共同で市役所に集積された
 被災者用食料や医薬品等の救援物資を
各避難所へ搬送するボランティア業務に従事。
         

市役所での避難所へ配送する物資積込み作業
バケツリレー方式で次々と搬送車両に積載される。
         

米以外の主食をあまり食べない土地柄のせいか、
パンなどの食料品よりはおにぎりや
カップめんなどが喜ばれた。
          

ピーク時には300人以上が避難して
すし詰め状態に。

土の上に当社から寄贈したブルーシートを敷き、
その上にゴザや古畳を敷いての寒さ対策。
        

2000人以上の大規模避難所では、自衛隊による被災者への炊き出しが毎日行われた。
 自衛隊による炊き出しや仮設風呂により、
多くの被災者が救われた。

日赤のエアードームテントの内部。
この中にも100人ほどが避難していた。