某月某日、気の会った仲間数名と一泊旅行に及んだ。行く先は房総。伊能忠敬記念館訪問。鹿島、香取神宮参拝。犬吠崎(泊)、灯台登頂。ヤマサ醤油工場見学などというコースである。往復各駅停車鉄道を利用。鉄道狂である「鯵フリャア(後述)」兄いの設定である。
伊能忠敬は江戸後期の測量家・地理学者。全国の沿岸測量に従事して、最初の実測図「大日本沿海奥地全図」を完成させた大天才だった。まさに「三千万歩を歩いた男」である。
鹿島、香取両神宮は、共に軍神、武神として名高い。鹿島神宮で赤樫の木刀を一振り求めた。社務所でふと見つけて、握ってみると重からず、軽からず、はなはだ手によく馴染む。直刀(無反り)である。毎晩素振りをすれば、衛生上よかろうと思ったからである。わたしはむろん剣道の素養は皆無であるが、練士七段三浦Lに教わろうと、持ち帰って、紺木綿の袋に入っているものをとりあえず床の間に置いた。ちなみにそれきり木刀は未だに日の目を見ていない。
犬吠崎の灯台登頂?はパス。わたしは高いところが大嫌いである。目が廻って恐ろしいのである。早く言えば高所恐怖症患者なのだ。三十年ほど前、寸又峡の吊橋を渡ろうとしたところ、途中で恐ろしさの余り気が遠くなり、脂汗を流して二進も三進もいかなくなって、本気で遥か下のダムに飛び込もうと思った経験がある。以来高いところには絶対近寄らないことにしている。
我が家では、ソースはブルドッグ、醤油はヤマサと昔からきめている。だからヤマサ醤油工場見学は興味があった。帰りに貰うささやかな見学記念品も一寸嬉しいものである。 醤油工場を出て、銚子駅に向かってぶらぶら歩いていったら、小さな定食屋さんを発見、時分どきでもあったので皆で入り込む。先客が2,3人いた。小上がりの座敷に陣取って、まず生ビールで乾杯。老夫婦と倅の嫁さんらしき人三人で商いをしている様子である。とすれば、倅は漁師に違いない。とすれば、魚を食すに限ると勝手に判断した。鯵フライ定食なるものを迷わず注文。わたしはふだん、鯵フライを殆ど食さない。本来好物なのだが、近年うまい鯵フライにお目にかかれないからである。量と目方でいうなら衣が三分の二、鯵が三分の一なんてのがざらにある。焼酎のウーロン割りを飲みながら待つことしばし、鯵フライ登場。中程度の大きさだが、丸々三尾の鯵フライが大皿の上に鎮座ましまして、キャベツの千切りが山の如き様相を呈している。丼飯、味噌汁、おこうこが付き添いである。フライとキャベツにブルドッグソースをたっぷりぶっかける。この鯵フライは絶品であった。
フライの良し悪しは、まず素材がすぐれていること、衣が厚すぎないこと、良質な油を使用すること、そしてブルドッグソースをたっぷりかけるかどうかで決まるものだと、わたしは確信している。この鯵は数時間まえまで銚子沖の海を悠々群れなして泳いでいたに違いない。衣はあくまで薄く、鯵の背や腹がちらほら見えているくらいだ。油はラードなんかではない。上等の菜種油である。カラッと揚がって胃にもたれない。わたしは、「これこそ鯵フライ」と、感嘆久しゅうした。
気がついたら、お店は醤油工場で働く人々と目される客で一杯になっていた。
あまりわたしが褒めたせいか、同行の一人に、「たかが鯵フライごときで感涙にむせぶとは、鈴木もたいしたもんじゃあねえな」とからかわれた。しかし、「だけんどよう、この鯵フリャアはなかなかいいアジしてらあ」と、下手な洒落を披露したのはこの男であった。さて勘定のことだが、わたしは生ビール中ジョッキ一杯、焼酎のウーロン割り一杯、そして極上の鯵フライ定食。〆て一千五十円也。本当です。
皆さん、銚子に出向くことがあったら、ぜひこの店に寄ってごろぅじろ。店の名はしらないが、銚子駅からヤマサ醤油工場を目指して歩けば数分である。道路の左側にあり、それほど綺麗な店ではないが、味のよさは不肖小生が太鼓判を押す。