「死線を越えて」  
38期会長 L久住達夫
           

             

 それは平成14912日の出来事でした。
この日は立川ライオンズクラブ、9月第一例会の開催日で会場は日本赤十字センターで行われました。例会開催前の昼食時に、急に体内の胸のあたりに黒い入道雲のような押し上げがあり、「これは少しばかり事件かな」と思いすぐに床に横たわり痛みの治まりを待つ体勢を整えました。
傍には新井幹事が「会長どうしたのですか!」と気遣う声が耳元に聞こえた。
ただ、なすすべがなく横たわり胸の圧迫の治まりを待つ状態でしたが「すぐに救急車の手配をする様に!」の甲高い声に押され、周囲は慌しい雰囲気になっていたのが、うすれた意識の中で感じる事ができた。
 暫くすると、救急車が到着し私の体は慌しく担架に乗せられた。その折に新井幹事が奥野Lに私の付き添いをする様に指示していたのと同時に「俺も立ち会う」と沢井Lの声である(誠に有難き事)そして病院へ担ぎ込まれ何人かの人達によって私の衣類が即座に脱がされ、局所が剃られ、なすがまま(まな板の鯉)とはこの事・・・倒れた時から凡そ15分位経過しただろうか、手術室へ向かう途中で家族の後ろに鈴木闊郎L、岡田前Lの「頑張れ!」の声を後にしてオペに入る。
 その後の記憶はなく夢の中を彷徨っていたに違いない。其の後、意識が回復したのは良いがベッドから背筋が離れず、のたうち回り起き上がろうとすれば強力な接着剤に阻まれ、その上、思考能力までもが侵され、賽の河原に投げ出された気分である。ここにいたら命がままならぬと腹に決め、病院替えをお願いしA病院へと移動しようやく落ち着いた。一命はとり止めた様だ。私が目覚めた時に看護婦は医師が回診に来る前に、私に呼吸をさせる為に異様な形の物を口に銜えさせるのには嫌気がさしてしまった。「これからは自分で呼吸が出来る様に頑張りなさい。」と看護婦が勇気づけてくれるが、これが非常に苦しく口に銜えた異物を出そうとすると血相を変えた看護婦が来て大変叱られた。
 どの位の時間が経過しただろうか、その日の午後8時に主治医が現れて今日で手術後7日目との事、しかも病院は変えていない事を知らされ私自身、頭が変になってしまったのかと思ったと同時に周囲の人達も同じ考えをしたと思う。
 医師からの説明で病名は「大動脈乖離」と告げられた。手術は人工血管を取り付けたり約8時間を要したが成功したとの事である。体中には沢山の管があるが1本ずつ外れて全部の管が外れればICUから晴れて一般病棟へ移れますとの事であった。
それからは看護の指示に従い日を追うごとに管が外れ手術後14日目にようやく
ICUから脱出せり。それから一般病棟へと移るが、未だに管3本につながれ投薬の日々が続き体重を測定したところ10kgの減・・・鏡を見ると「ホネカワ・スジエモン」見るに耐えない情けない表情である。
足は細く、歩行がままならず自分の力で無理な歩行に挑戦し又、食事は塩分控えめで味がなく流動食が続く・・・こんな状況から早期回復できましたのは、医師のお力は勿論ですが家族の献身、メンバーからの励まし(中村定夫Lのお小言・笹本そして沢井両Lの激賞文・鈴木闊郎Lの助言・田野村次期会長の会長代行等)そして自分自身のクラブ運営のこだわり、そして新井幹事以下メンバーの団結によるものだと思います。
 クラブの流れは新井幹事より随時、経過報告を受け、年明けには「クラブへ復帰するぞ」とかたくなに決めました。そして新年カレンダー配布に皆様にお会いする事ができ本当に感激でした。
今思えば9月12日は親父の命日で寂しがりやの親父が親不孝の私を呼んだのかと述懐しきり。死線を越えてクラブのゴールを目指し、とりあえずお荷物にならぬ様、進んで行く所存ですので皆様どうぞ宜しくお願い致します。有難う御座いました。