「ITの効用」  鈴木 闊郎 L
           

             

 IT:「information technologyの略。 コンピュータと遠距離通信技術を用いたデータ収集・処理・記憶・伝達の技術」   (リーダーズ英和辞典)

 さかしらをあえて承知して、 こんなタイトルで半世紀前のできごとと、 それと再会するきっかけをつくってくれたインターネットのありがたさをご紹介したいと思う。
 偉そうなことをいっても、
わたしはITなるものを理解しているわけではない。 単にインターネットのウェブ・リサーチ (遊びだが) によって、 偶然に信じがたい経験ができたにすぎない。 もしわたしがインターネットをしらなかったら、 たぶん、 生涯この思い出深いできごとと遭遇することはできかったに違いない。
 インターネットを利用している方ならどなたも同じだと思うが、
わたしも 「お気に入り」 欄にいくつかのホームページを登録し、 「本」 なるフォルダをつくり、 「古本」 というファイルを収納している。 これが実に楽しい。 全国のホームページを持つ約8千軒の古書店が、 Easy Seek , 「日本の古本屋」、 「マグマグ」 などのベース・ステーションの傘下でネットワークを張っているものだ。
 欲しい本、
あるいは興味を持った本があれば 「著者名」、 「書名」、 「出版社」、 「本の形式」、 「発行年代」など、 いくつかのキーワードを入力して (著者名だけでもよろしい) 検索すると、 たちどころにその本を在庫している古書店名の一覧がでてくる。 検索した本の値段、 保存状態、 初版であるかどうか、 などが列記されているので、 それらを比較参照して、 もし購入したいと思ったらメールで直接その扱い店に発注するのである。
 昭和
50年代に発刊され、 現在廃刊となっている河出書房新社の、 G・シムノンの 「メグレ警視シリーズ」 50巻のうち、 23巻までは持っていたが、 どうしても手に入れたいとかねがね思っていた残りの27巻をこれで手中に納めたし、 三一書房の 「夢野久作全集」 8巻のうち、 1巻がどうしても見当たらなくて気になっていたのだが、 これで揃えることができた。 全集全巻揃いの場合、 うち1冊だけ欲しいといってもほとんど不可能であることが多いが、 8千軒もの店の数があると、 バラで持っている本屋さんも多いのだろうか、 実にありがたいことこのうえない。 これに類することは枚挙に暇が無く、 わたしにとっていまや無くてはならない存在になっている。
 半年ほどまえ、
例によってネット上で古本屋巡りをしているうちに、 ふと思いついたことがあった。
 昭和
31 1956年) の夏、 宝石社 (現存するが、 当時は推理小説を専門に扱う出版社) 「新人25人集」 なる雑誌発刊のため、 短編推理小説 400字詰原稿用紙50枚) の募集をしているのをしったわたしは、 浪人中の気散じも手伝って、 10日ほどで稚拙きわまりないものを書き上げ、 宝石社に郵送した。
 翌年3月浪人の身を切り上げることができ、
その原稿のことも忘れかけていた同年10月ごろ、 宝石社から封書が届いた。 貴殿の応募された作品が入選したので、 翌年年頭発行予定の 「別冊宝石新人25人集」 に掲載すること、 また選考の結果、 第三席に選ばれたので、 雑誌発行後賞金3万円を贈呈する旨であった。 わたしは、 自分の書いたものが商業雑誌に掲載されることなど夢にも思はなかったが、 それはそれで嬉しかった。 けれど、 正直にいうと、 さもしいことだが3万円の賞金がもらえることに仰天し、 気もそぞろになった記憶がある。 なにせ、 学校の年間授業料が2万円弱の時代である。
 わたしの原稿が掲載された
「別冊宝石47号・新人25人集」 は翌昭和33 1958年) 2月に発行され、 書店に並んだ。 ちなみに本の代金は1冊150円であった。 ところが、 わたしにとって記念すべきその雑誌が現在手許にないのである。 むろん賞金もとっくに雲散霧消して手許にはない。 贈呈本を1冊もらった記憶はあるが、 どこを探しても見当たらない。 単行本ならともかく、 際物の新人集雑誌など、 ましてや半世紀ちかく経ってしまったものなど古書店にあるわけもなし、 手に入れるのをすっかり諦めていた。
 PCのモニタを、
タバコを燻らしながらぼんやり眺めているうちに、 ふと思いついたのは、 実はこのことであった。
 ありうるはずのないことを承知しながら、
検索してみたのである。
「著者名 ○○ 宏」、
「作品名 サルドニクスの○○」、 「出版社 宝石社」 とキーワードを入力して、 検索ボタンを押した。 ナントなんとこれがヒットしたのである。 西早稲田の平野書店なる古書店に在庫ありとでた。 内容を見ると、 25人の新人作家名と、 題名が列記されていて、 考えもなしにつけたわたしのペンネームと作品も掲載されている。 我が目を疑うとはこのことだ。 ヒットどころか、 大ホームランである。 本代1,500円、 送料300円とある。 わたしはそくざに書店宛発注のメールを送付した。
 三日後届いた雑誌に目を通した。
読んでいくうちに、 文字通り顔から火がでる思いがした。 観念的、 類型的、 作品をけなす、 ありとあらゆる罵詈雑言があてはまるであろう陳腐きわまりないものである。 とても読むに耐えない出来である。 こんなものが入選し、 しかも第三席にえらばれたのは、 応募したすべての作品のレベルがよほど低かったのであろう。
 3万円に目が眩んだわたしは、
その年末に発行されるという同じ企画の雑誌に臆面もなくまた投稿した。 同年1225日に発刊された 「昭和34年度新人25人集」 にも入選し掲載されたが、 賞金には見放された。
 そのころ、
創設されたばかりの 「W・ミステリ・クラブ」 に入会した。 クラブの顧問に江戸川乱歩に就任してもらった。 学校近くの三朝庵なる蕎麦屋の二階で、 顧問に足を運んでもらい懇親会を開いた。 驚いたことに、 乱歩先生はわたしの拙い作品二つにまで目を通していてくれたのである。 大作家の推理小説によせる熱情のなせるわざであったのだろう。 そして、 わたしに、 「君、 書きたまえよ。 ボクが見てあげます」 とまで言ってくれたのである。 なにせ 「大乱歩」 のお墨付きをいただいたのだ。 わたしは身のふるえる想いを感じたと同時に、 とてつもない重荷を背負って、 とまどったことを、 はっきり記憶している。
 
「ミステリ・クラブ」 の月一回発行の同人誌に、 長編連載推理小説を連載しはじめた。 同時に、 ポツポツと原稿用紙に向かう時間がふえた。 しかしどれもこれも意にみたないものばかりである。 「大乱歩」 の期待に沿い、 その名を汚すことのない作品を書く能力を、 残念ながらわたしは持ち合わせていなかったのである。 このことは、 いまでも折りにふれて懐かしく思い出すことがある。
 商業雑誌に二回連続して創作が連載されたのも、
才能の故ではなく、 単にビギナーズ・ラックというもであったにすぎない。 愚にもつかぬ思い出話は以上である。
 わたしがいいたいのは、
半世紀以前の、 わたしにとって忘れがたい経験を、 一瞬のうちに目の前に再現させてくれた事実、 つまりインターネットの情報提供量と、 その処理能力の驚異についてである。 インターネットの利用とは、 経験と知識、 あるいは情報を、 世界中の人々と瞬時に共有できることにほかならないのではないか。
 幸せな時代に生き合せたものだと痛感する昨今である。