「随 想」  38期幹事 L新井 敏夫
           

             

 私は、戦時中の2年間の疎開を除き、立川で生まれ育ち、そして立川に就業し今日まで過ごしてきました。そんな中で少しでも立川市の為に何か、お役に立つ事が出来ないものかと思いつつ仕事にかまけ、何もできないのが現状でした。
思えば昭和59年に小学校PTA役員の要請があり大いに悩みましたが、良い仲間に恵まれ副会長、会長と4年間、又その間には社会教育委員を2年務め、その後には自治会長、人権擁護委員も歴任させていただき、少しは立川市に恩返しができたのかと思っています。
 その頃、久住達夫会長から社会奉仕団体の立川LCへのお誘いを受け入会しましたのが立川LC創立30周年の記念すべき年の3月でした。当時はメンバー数100人を目標としていたので、私を含め4人が同時に入会したのを覚えています。そして当時の中森重冶会長が100人達成したと挨拶していたのを覚えています・・・それから8年が経過しました。
 久住会長が第三副会長をお受けになった時、「引き受けたがその時は手伝って欲しい」と言われたのが、ついこの間の様です。そして昨年の四月頃、会計の平野実L共々、会長より基本方針として38期は内外共、大きな事はせず、40周年への繋ぎの年度と捉えたいとの話がありました。
 しかし今までの経験から感じた事や、諸先輩Lからの助言等を三人で話した結果、十分とまではいかなくても、委員会数の縮小、ブロック制への組織変え、理事の変更、その他、細かい事も含め改革が出来たのは嬉しく思っています。
 そんな中で、7月の第一例会では遠藤英二Lの、お骨折りで映像によるプレゼンテーションが行われ、今期の基本方針「六つの柱」がメンバーに周知され順調にスタートしました。しかし、その後の9月の第一例会では会長が突然、病に倒れ、今期のクラブ復帰が危ぶまれたのは大きな衝撃であり、私自身も大きな責任を感じたのも事実です。
 病状を考え、会長代行をと周囲の人達から言われましたが、会長が自分自身の気持ちを話せるまでは、と頑固にお断りした事を思い出します。その間は佐久間国夫計画大会委員長はじめ、多くのメンバーのお力添えがあった事は言うまでもありません。
 久住会長の驚くべき回復力でクラブに復帰し、今年1月から会長職を元気に、まっとうされるのを見るにつけ、間違ってなかったと思うこの頃です。
 後一月足らずを残し思うのは、今期のスローガン「友愛と相互理解で大きな力」とあるように、多くのメンバーの"友愛と相互理解"に大きく助けられた一年だったと思います。
 心よりメンバーの皆様に厚くお礼を申し上げます。
 LC関係の本に「三役を引き受ける事は最大のアクティビティである」とある様に、そのつもりで私自身、幹事職を務めてきましたが、それを優先するあまり、5役間の中で、"相互理解"が欠落した感もあるかもしれません・・・ここにお詫び申し上げ、ご協力に心よりお礼を申し上げ38期の結びと致します。
有難うございました。